「この世に産まれてきた者は全てなんらかの使命を背負って産まれてきているのだ。」とヨガの先生が言われていました。
そう思えばこの世に必要のない命なんてないのでしょうね。
どこかの場所に身を置くとき
「私はここに必要な存在だろうか。」といつも考えてしまう。
必要な存在になるにはどうしたらいいだろう、とも考える。
けれど、ときには自分が望んでいたとしても、そこに自分が必要でない場合もある。
必要とされていないと感じたとき、私はその場を立ち去るでしょう。
それ(私が立ち去ること)が、その場所にとって最善のことであれば・・・・・・。
人からよく「奉仕精神の強い人だ。」と言われることがある。
きっとそれは、無意識に自分がその場所に必要な存在であることを確信したいからなのかもしれない。
人を押しのけてでも前に出よう、とは思わない。
静かに目立たずそこに存在するだけで必要と思われる存在になれることが理想。
前に出なくてはいけないときは、自然に前に出て、けれど、それ以外は静かに存在できること。
「影のないところに光は存在しない。」
そう思えば私はどちらかというと、「影」の役割の方が似合っていると思う。
「影がなくても光は存在し、輝き続けることができる。」と錯覚している人もいる気がする。
ときとして「影」の役割をしたり、「光」の役割もしたり、どちらも体験すると、両方揃って初めて「光」が輝くことができるのだ、とわかる。
「光」と「影」は一対なのだ。
仕事も忙しく、何かとバタバタしている年末。
なんだか哲学的(?)になってしまっているクリスマス・イブイブなのでした。
そんなこと考えてないで仕事しなさい。(自分に言わなければ)
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