2011年3月アーカイブ

子供の頃、雷が大嫌いだった。ものすごく怖かった。
雷が鳴り出して、雷が落ちると、雷様が降りてきて、子供たちのおへそを取って食べてしまうのだと本気で信じてた。

だから、雷が鳴り出すと、おへそを手で隠して母のところへ行き、雷が鳴り終わるまで母にしがみついていた。
母にしがみつきながら「雷落ちる?雷様来る?おへそ取りに来る?」と何度も聞いた。

そんなとき、いつも母は私を抱えながら「大丈夫、だいじょうぶ(*^.^*)」と何度も言ってくれた。
母が「大丈夫」と言ってくれると、すごく安心できて怖さもなくなった。

近頃、毎日ニュースや新聞を見てると、心が曇る。
どうしようもないやりきれなさと悲しさと怒りもわいてくる。

昨日、ある人(大人)とも話していた。
「なんとかしたいけど、被災地の方々、原発でがんばってくださってる人たちのこともなんとかしてあげたいけど、大きなことは個人では何もできない。やりきれないね。今の生活を捨てて現地へ行って救助活動に参加することも、原発で何かすることもできないし。」と話していた。
事実は見なければいけない、でもやりきれなくて、事実を見たくない、気持ちにもなる。
どうしようもない気持ちを抱えながら大人たちは粛々と自分たちの生活を営んでいる。

昨日息子ともそういう話をした。
今の被災地の状況や犠牲者の数、そして原発のことなど、いろいろ話をした。
息子が言った。
「お母さん、今の子供たちや若者はこれからの日本に明るい未来を見られなくなったよな。」と・・・・。

ハッと思った。
大人たちがしっかりしなきゃいけないな、と・・・・・・・。
大変なことはわかってる。目をそらしているわけじゃない。
でも、子供たちが楽しさや幸せを感じられるように暮らさなければ、と・・・・・。
明るい未来を見ることができるようにしなければ、と・・・・・。
子供たちが明るい未来を見られなくなって自暴自棄になってしまわないようにしなければ、と・・・・。

「楽しさや幸せは、それぞれの心の持ちようだから。お金や物に恵まれてないと、便利な生活でないと幸せになれない、なんてことはない。何もなくたって、楽しさや幸せは見つけることができるよ。」と答えたけれど・・・・。

大人だって不安や恐怖心を抱えてる。
現状をわかってる。わかってるからこそ、むやみに大変さを表に出せない。

なるべく明るくのー天気に、楽しそうに暮らそう、と思った。(被災地の皆様には大変申し訳ないですが)
そして、個人でできること(生活を変えたり、被災された方々に何かできること)、リアルで回りにいる人たちといろいろ考えてできることをやっていこう、って・・・・。
その中でも、今大人たちはリアルで自分の身近にいる子供たちの不安感や不信感を取り除いてあげることも大切なのではないかと・・・・・。

そして・・・、私も・・・・「大丈夫、だいじょうぶ」母が言ってくれたおまじないの言葉を心の中で繰り返すのでした。

手書き新聞 etc

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今日の新聞で被災地の新聞社さんが、今までどおりのお仕事ができなくなってしまって、でも手書きで新聞を出し続けている記事が載っていました。

大変そうだけど、いえ、きっと大変だけど・・・・手書きっていい。
温かさを感じてなんだかホッとします。


話変わって・・・・(変わるのか・・・・・
玄関前の石の間から
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パンジーが咲いていた。
去年プランターに植えていたものの、こぼれ種から出てきたんだな。
誰に世話してもらうわけでもなく、誰かにほめてもらうわけでもなく
ただ、咲いている。
しかも土も栄養もほとんどない石の間から・・・・・・。
植物はなんてたくましいのだろう。
見た目は全然たくましさを感じない、小さくかわいいお花なのに・・・・・・。

ふと、また玄関脇を見ると・・・・
こんなものが・・・・
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なんだろ?これ、謎の袋。。。。。
もしかしてゴミ?

「中身は何か」と開いてみると・・・・・・
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あらら、薪でした。
どなたが持って来てくださったんでしょか?

もうすぐ4月になるというのに、まだまだ寒いです。
お昼はいっぱい着こんで暖房ナシでがんばりますが、夜はやっぱりまだ薪ストーブ。

電気も石油も使わない暖房。薪ストーブから出た灰は裏の畑に撒いています。
木を燃やした灰は植物の成長にいいらしいです。(よくわかってませんが)

木を燃やすとCo2は出ますが、それは木の成長のために吸収した分しか出ないんですって。
木を燃やして出たCo2はまた木の成長のために使われるそう。
なので、木を育て、燃やすというサイクルは地球上のCo2を増やすことにならないらしいです。

地中にあった石油を燃やすと、今までなかったCo2を作って排出してしまうので、地球上のCo2が増えるのだそうです。

なんて・・・・、なんだか偉そうに「ECO」を語ってしまった。
「エコという名のエゴ」にならぬよう気をつけたいと思います。

実は21日、我が家にいろんな方が集まってくださったとき、言わせていただいたのですが・・・・・

今回の地震直後の様子を見て愕然としました。(→そのときの日記

「色がなくなってる、青と緑もなくなってる・・・・。」と・・・・・・。
※通日後には空の「青」は見えましたが、今度は他の光景とのアンバランスさが痛々しかった。
 光景は様々な色のバランスが保たれて、初めて自然なのだと思いました。

別にこれを機会に友人の曲を宣伝しようとしているわけではありません。
以前に書いた日記でご紹介しましたが・・・・。

その光景を見た瞬間、その曲を思い出しましたが、ぞっとしすぎてしばらく口に出して言えませんでした。
もちろんネットにも書けなかったです。


あの光景を見て、慌ててまたこの曲を聞きました。

-------------歌詞の一部転載------------------------
僕らの住むこの世界から 青と緑が消えてしまって

たかが2色の事なんだけれど それはあまりにも無残な光景で
夢の中でさえ思わず僕は 目を瞑ってしまうほど

ねぇ 想像できるかい? 青と緑の消えた世界を

(途中 略)

僕らに何が出来るんだろう 何も変わらないのかも知れない

たかが2色の事なんだけれど きっと失くしちゃいけないもの
そして君を守りたい 青と緑の世界の中で 
--------------------------------------------------------------

想像なんてしたくなかった。想像しようとするだけで、血の気がひいて、自分が青か緑になってしまいそうだったのに、本当になってしまった。

改めて聞くと、ギターの一音一音、言葉のひとつひとつが心に痛いほど染み込んできて、涙が出ました。

わかってたの?知ってたの?

青と緑のない世界は、本当に無残で目を覆ってしまうほどでした。


空の青、海の青、木々の緑・・・・・・etc........

普通に自然界にある色なのに、本当になくなることがあるなんて・・・・・。

世の中の色にはそれぞれ意味がある。
けれど、私たち人間の心理作用にも多大な影響があることを今回改めて痛感しました。

これからは、世の中の「青と緑」がなくなりませんように。(祈

私たちは、地球人という家族、地球という素敵な家に住んでます。

家(地球)が朽ちてボロボロになって、なくなってしまわないように、何をするべきなのでしょう。
それぞれが考えていければいいですね。

地球人同士が争ったりしてる場合じゃないかもしれません。

※この日記「ただのこじつけだよ。」と思ってしまった方、すみません。


昨日(3月21日)はお彼岸、そして、私の誕生日。

誕生日どころではない世の中です。
それに、ひとつ年を重ねても、もうそんなにおめでたくないお年頃ですし・・・・。(^ ^;)ゞ

けれど、昨日は別件で我が家にある方々が集まりました。
せっかくだから、いっしょにご飯を食べましょう、ということで・・・・・・・
質素に、私の手料理で・・・・・・。

けれど、来ていただいた方々はお花やケーキやお菓子や、その他プレゼントを持って来てくださいました。
かえって気を使わせてしまって、申し訳なかったです。

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いっしょにご飯を食べながら、いろんな話をしました。
もちろん震災のこと、原発のこと、そしてこれからの世の中はどうなっていくのだろう、などなど・・・・・、みんな正直に自分の意見を出し合いました。
もちろん真面目な話ばかりじゃないです。
うちのにゃんこたちに接していただいたり、途中女性だけが固まってガールズ(「元」も含め)トークしたり・・・。音楽の話をしたり、途中ピアノやギター演奏する人がいたり・・・・・。
形式にこだわらず、誰にもなんにも気兼ねもせず(私だけかも?)、まるで時間が止まったかのように、同じ時間を同じ場所で薪ストーブの火を見ながら過ごしました。

「あーーー、インターネットが発達して、いろんなコミュニケーション法があるけれど、人間同士はやっぱり『Face to Face(顔と顔を見合わせて)』だなー。」と実感したのでした。
豪華なお料理がなくても、アルコールを全然飲まなくても、同じ部屋で同じテーブル(実は丸と四角のちゃぶ台でした)で、いっしょにご飯を食べて「あーでもない、こーでもない。」ってお話をする。そんな他愛もない会話の中から
「あ、そうだったんだ。」「おーーー、こんなところで同じ意見だったんだ。」
とか気がついたり、目に見えず、自分を成長させてくれたり、何か精神や肉体のどこかが癒された気がします。



大変な出来事があって、まだ不安がいっぱいの世の中なのに、楽しい集いをしたりして、いいのかな、と思いつつ・・・・・
○○才の誕生日、ご先祖様にも感謝しつつ(お彼岸なので)、被災地の復興を祈りつつ、自分がまたひとつ無事に年を重ね、素敵な方々に囲まれていることに感謝し、すごく幸せを感じたのでした。

今、自分がここに存在していること
今、自分に接していろんなことを気づかせてくれる人たちがいること
今、普通に五体満足で、生きていられること
今、家があり、ご飯も食べられていること
その他いろいろ・・・・・

「幸せ」だと感じる要素がこんなにたくさんあるなんて、ホントに幸せなんだと思います。
「ひとつ年を重ねても、もうおめでたくないお年頃だ。」なんて思ってはいけないと思いました。
ひとつ年を重ねることができたことに感謝。
「この世に生まれてきた日、ありがとう。」

今ここに生かされていることに感謝しつつ、いろんなことにがんばります。
きっとこの世に生まれて、今ここにいることは、何か使命があるのだと思います。

来てくださった皆様、ありがとうございました。
そして、ネットを通じてお誕生日メッセージくださった方々もありがとうございます。
また一年、さまざまなことにがんばりつつ、生きたいと思います。

今日は朝から急ぎの仕事でバタバタでした。
でも、大変でもがんばりますよ。
(*^.^*)


音楽のプレゼント

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またまたお友達からの紹介です。

坂本龍一さんと大貫妙子さんからの音楽のプレゼント。


----------------------ここから歌詞転載---------------------
『a life』

汗を流そう。 
ご飯を食べよう。 
ぐっすり眠ろう。 
爪先まで。 
むじゃきに笑おう。 
たくさん泣こう。 
見たら助けよう。
手を伸ばして。 
悲しいことばかり伝えてくるニュース。 
心の力で飛び越えよう。 
ふられた恋もつまづく日々も
まっすぐ見よう 胸をはって
そして出会おうステキな人と言葉をつかもう。 
生きた声を。 
体を流れるあたたかい記憶であなたのすべてを抱きしめるの。 
なくしたくないと思うものだけを守って行こう守って行こう。 
あなたのつぶやき私のつぶやき皆のつぶやき世界のつぶやき 
あなたのつぶやき私のつぶやき皆のつぶやき世界のつぶやき 
----------------------ここまで歌詞転載--------------------------

大変なときって、言葉を発したいけど、何を発していいのかわからなくなる。
自分が発した言葉がとてもむなしく感じたりもする。

この曲はとてもシンプルな言葉を重ねただけなのに、とてもシンプルなメロディーや伴奏なのに、心に伝わる。
音楽ってすばらしい。
この動画をmixiのお友達に教えてもらいました。
「日本人」であることがうれしくなった。

ある本である預言者さんが、「これから世界を救う鍵は日本にある。」と言われていた。
なんでだろう?って思ってたけど、どんな天変地異が起ころうとも、「慎ましく、助け合いの精神を忘れないこと」それでみんなのこころがつながっていく、そういうことなのかもしれない、と思った。

「祈り」よ天に届け。
「天の怒り」よ、おさまってください。人間たちは本当に大切なものに気づき始めたはずだから。

って・・・私って偉そうだな。すみません。。。。(^ ^;)ゞ

3月11日(金)午後3時過ぎにやっと確定申告を出しに行きました。

出した後「やっと終わったー。」と開放感いっぱいでケーキを買って帰り
気持ちよくケーキを食べようとしてテレビをつけて・・・・・・愕然としました。

どこかで地震が起きたとか、津波が来るかもしれない、とかなんとなくニュースで聞きながら確定申告出しに行ってました。

テレビに写った光景は・・・・・
「これ、どこ?いつの時代の映像?」
まるで空襲の跡のような悲惨な光景、町のほとんどがなくなってしまっていました。

モノクロかセピアな映像のような気がして、一昔前の映像なのかと思ったけれど・・・・、何もかもつぶれて流されて、景色の中に「色」が残っていなかったのです。

どんどん明らかになる被害状況。
ホントに何と言っていいのかわかりません。

二日目の朝(日曜日)、早くから気になって、またテレビをつけました。
二日目の朝6時過ぎだったのに、まだ救助活動は行われていないとの報道。

悲惨な光景の上に広がった青空と、何事もなかったかのようなかわいい鳥の鳴き声。
その青空と、鳥の鳴き声に妙に違和感を感じました。
海を泳げるはずの魚たちの死骸が打ち上げられていました。

「海も陸もダメだったけど・・・・、空だけ大丈夫だったんだな。」と・・・・・。


逃げようのない状況で被害に遭われた方々は、どれほどの恐怖を味わったのでしょうか。
考えただけで・・・・・心臓がドキドキして、涙が出そうです。

地震が起こってすぐ、報道ではどんどん情報が流れ、ネットでも情報が飛び交っていた。
でも、被災された方はテレビも見えないし、ネットなんて、もっと見える状況じゃないでしょう。
なんだか、ネット技術の進歩が虚しく思えました。
被災されてない方々がワイワイガヤガヤと様々な情報を流し、情報網を混乱させていた。

何が本当で何がうそなのかもわからない。

こういうときこそ、被災されてない人々は冷静になり、情報網などの使い方も考えるべきだったのではないかと思います。
とんでもない天災が起こり、不安にかられ、パニック状態で何かネットで発信しなければ気が済まなかった人ももちろん多かったのだと思いますが・・・・・。

昨日のテレビで、ある老夫婦が救助されていた。
壊れた建物から出て来た老紳士が、にっこり笑って言いました。
「また復興すればいい。」と・・・・・。

「すごい。さすが、戦争を体験してらっしゃる人は根性が違う。」と思いました。

けれど、今被災された方々に「がんばってください。」と、私は言えません。

まだがんばれませんよね。

家をなくし、家族とも別れてしまったり・・・・、様々な精神的ショック、心も体も衰弱していらっしゃると思います。

「まずは、お元気になってください。」と言いたいです。
そして、前向きになれる精神状態や肉体状態になってから、初めて「がんばってください。」と言いたいです。
ホントに悲惨な状況に陥っている人に
「がんばってください。」「応援しています。」と言う言葉は・・・・
とても酷な気がします。

被災地域でない方々は何かできることを。
まずは募金や節電でしょうか。

いろいろ書きましたが、
被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。
そして命を亡くされた方々のご冥福をお祈りいたします。
momo.jpg
桃の花が咲き、もうすぐ桜も咲く頃です。
これはピンクの桃の花でしたが、あえて色を抜きました。

被災された方々の心が癒されて、いつかまた色づくときが来られますよう、お祈り申し上げます。
タイトルの『「芸術」は何のためにあるのでしょう?』
ずっと考えていることだったりします。(もっと他のこと考えないといけませんが・・・・


「芸術」とは?

1 特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など。使用例:「―の秋」「―品」

2 学芸と技術。

 (大辞泉より)

「絵を描いたり、音楽をしたりして何になるんだ?そんなんで生活していけんだろ?「芸術」なんて金持ちの道楽だよ。」と言われる方も多いかもしれません。

私が子供の頃、母はとても芸術が好きで、普段は流行のお人形もゲームも買ってくれない人でしたが、音楽を聞きに行ったり、音楽を自分でやってみたり、映画を見たり、本を読んだり、絵画展を見に行ったり、自分で絵を描いてみたり・・・・、そういうことには時間もお金も惜しまない人でした。

母は「芸術」が好きだったのだと思います。
それで、姉は歌やピアノの音楽の道へ、私は絵を描いたり・・・、デザインの道へ・・・・・。

別に特別うちはお金持ちでもなんでもなかったのですが、
「質素・倹約、武芸の奨励」
そんな家庭でした。
普段は贅沢しないけど、武芸に関しては時間もお金も惜しまないような・・・・・・・・・。

で、タイトルに戻りますが・・・・・・
「芸術」って何のためにあると思われます?

いわゆるただのお金持ちの道楽とか・・・・ぜいたく品みたいなもんでしょうか?
「なくてもいいけど、あったらうれしい」みたいな?

そうなのでしょうか。


悲しいとき、音楽聴いて泣いたりしません?
心がむしゃくしゃしたとき、好きな絵を見たり写真を見たりしたら、心がすーっと楽になったりしません?
本を読んで、心の整理がついたりしません?
ある日、音楽を聞いたり、絵や写真などを見たり映画を見たり本を読んで、突然、自分自身の何かが変わったりしません?
心の箍(たが)がはずれたり・・・・・。
そのときどきに出会う何かは、今自分自身に必要なものだったりするそうです。

なんというか・・・・「芸術」って、普段、重要性を意識してないけど・・・・・なかったら・・・・・すごく無味乾燥な生活になってしまうし、心も救われない気が、私はするのです。

古くからの歴史を見ても、飢饉や大恐慌など・・・・、人々が不安になるときは、「芸術」と「宗教」が発達してきています。
心を静める、心を安らかにするものを求めるのでしょうね、きっと。

今は「芸術療法」と言われるものもありますが・・・・・、人の「芸術」に触れて心が救われたり、実際に自分自身が「芸術活動」をして心が救われたり、ってあるのではないでしょうか。

そう考えると・・・・・
「芸術」って必要不可欠なもの。

自分自身も大学に進むとき、「芸術」について、いろいろ考えました。
今もデザインという仕事をしながら、よく考えます。
娘は歌を歌ってますし、息子はギターを弾いてますし、「表現すること」についてもいっしょによく語り合ったりもします。

外国では「芸術」については造詣が深く、アーティストもちゃんと生活ができていたりします。
日本はまだまだ「芸術」に対して、理解が低いのかもしれませんね。
でも、「芸術」への理解が低い=心が貧しい
って思われそうな気がします。

金銭的に貧しいのと心が貧しいのとどっちが恥ずかしいでしょうか。


でも、ホントに・・・・「芸術」って何のためにあるのでしょうね。(結局結論出ないのか?
みなさんはどう思われるでしょう?




女と鏡

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毎日、顔を洗ったり、お化粧したりするとき鏡を見ます。
鏡を見ると、なぜかいつも実家の祖母を思い出すのです。

祖母は数年前97歳で大往生しました。

私が子供の頃は祖父母、両親、私たち姉妹3人の7人家族でした。
祖母も母も、娘時代はお女中さんがいるような家で育ったお嬢様だったようで、二人とももともと家事は苦手だったようですが、実家では祖母は何もせず、母が家事全般をしていました。
祖母にとっては母がお女中さんのようでした。

祖母はそんなに美人ではありませんでした。
母の方がきれいな顔をしています。

けれど、「女」という意識は祖母の方がとても強かったのです。
私が小さな頃から毎日見ていた祖母は、毎朝長い髪をとかし、きれいに結い上げてお化粧をして、お昼間どこかに座っているときでも、いつも自分の前には「鏡」を置いていました。

夜はクリームで顔をマッサージし、いろんな服を買い、鏡の前でファッションショー。

母の方がきれいな顔をしているのに、面倒くさがりやで、お化粧もそんなにしないし、お顔のお手入れもそんなにしないし、服もそんなに気を使わないし・・・・。
「もっとおばあちゃんみたいにきれいにすればいいのになー。」と子供心に思ってました。
でも、母は和服がよく似合い、母が着物を着たときは本当にきれいで、いつも見とれていました。

ある日祖母が母に言いました。
「どんなに上等なバッグでも、ときどき油を塗って磨かんと、パサパサになって痛んでしまう。顔だっておんなじじゃけん。あんたはきれいな顔しとるのに、なんにも手入れせんし、もったいない。」と・・・・・。
それからは、ときどき祖母が母に顔のマッサージしてあげてました。

祖母が亡くなる前は数年間、父と母が祖母の介護をしていましたが、トイレに一人で行くのもままならないのに、いつもそばに手鏡を持っていないと気がすまない祖母でした。
祖母は色黒で鼻も低く、目もそんなに大きくなかったのですが、「きれいになりたい。女でいたい。」という気持ちが人一倍強かった人でした。

祖母の死に顔は色白でなぜか鼻が高くなって、たぶん祖母が生きてきた中で一番きれいだったと思えました。
「さすが、おばあちゃん、死ぬまで「女」。死んでからも「女」。貫き通したなー。」

私は母に似て、面倒くさがりで、あんまり高価なお化粧品も使わないし、お手入れもまめにしないし・・・・。
でも、最近、特に鏡を見ると、祖母が言ってたことを思い出します。
「お手入れせんと、パサパサになって痛んでしまうけん。」という言葉を・・・・・・・・。

そろそろちゃんとお手入れしないといけないお年頃なんだけど・・・・・、母みたいになるか、祖母みたいになるか・・・・・・、どっちがいいかなー。
中間くらいがいいかも・・・・・・。(^ ^;)ゞ

雪煙に沈む夕日

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3月になったというのに、今日はまた雪。

夕方、外出していたら、沈む夕日がきれいでした。

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雲なのか、それとも山から舞い上がった雪煙なのか・・・・・
そんな中に沈んでいく夕日。

すごく神秘的でした。
なかなか上手に写真撮れませんね。
(^ ^;)ゞ