生活: 2007年12月アーカイブ
今日はクリスマスイブでした。
子供たちも大きくなってくると、サンタさんも信じていないし、なんとなくワクワクしたイベントではなくなってきていますが、
クリスマスイブには、なんとなくそれらしい(?)お料理は作ります。
^^;
子供たちが小さな頃からクリスマスイブは毎年このメニュー。
「違うメニューにしてみようか?」と聞いても子供たちはやっぱりクリスマスイブはこのメニューがいいと言います。
ある意味『おふくろの味』クリスマスバージョンなのかもしれません。
全然豪華でもおしゃれでもない感じのお料理でお恥ずかしいですが・・・・・・。
どこのスーパーでも手に入る食材で作ったメニューです。
- ローストチキン
- マッシュポテト
- スパゲッティナポリタン
- サラダ
- コーンスープ
コーンスープ以外は1プレートで・・・・・・・。
あとはケーキを食べますが、さすがに大食いの我が家の子供たちもたくさん食べ過ぎて、ケーキは明日に食べるそうです。
このメニューで、年々ローストチキンの本数は増えていきます。
「あなたたち、何羽分の鶏の足食べたら気が済むのーーー?」って感じです。
子供たちもあと数年したら、この家を離れていくでしょう。
それまではクリスマスイブは揃ってこのお料理食べてると思います。
「この世に産まれてきた者は全てなんらかの使命を背負って産まれてきているのだ。」とヨガの先生が言われていました。
そう思えばこの世に必要のない命なんてないのでしょうね。
どこかの場所に身を置くとき
「私はここに必要な存在だろうか。」といつも考えてしまう。
必要な存在になるにはどうしたらいいだろう、とも考える。
けれど、ときには自分が望んでいたとしても、そこに自分が必要でない場合もある。
必要とされていないと感じたとき、私はその場を立ち去るでしょう。
それ(私が立ち去ること)が、その場所にとって最善のことであれば・・・・・・。
人からよく「奉仕精神の強い人だ。」と言われることがある。
きっとそれは、無意識に自分がその場所に必要な存在であることを確信したいからなのかもしれない。
人を押しのけてでも前に出よう、とは思わない。
静かに目立たずそこに存在するだけで必要と思われる存在になれることが理想。
前に出なくてはいけないときは、自然に前に出て、けれど、それ以外は静かに存在できること。
「影のないところに光は存在しない。」
そう思えば私はどちらかというと、「影」の役割の方が似合っていると思う。
「影がなくても光は存在し、輝き続けることができる。」と錯覚している人もいる気がする。
ときとして「影」の役割をしたり、「光」の役割もしたり、どちらも体験すると、両方揃って初めて「光」が輝くことができるのだ、とわかる。
「光」と「影」は一対なのだ。
仕事も忙しく、何かとバタバタしている年末。
なんだか哲学的(?)になってしまっているクリスマス・イブイブなのでした。
そんなこと考えてないで仕事しなさい。(自分に言わなければ)
今日は(もう昨日)雨の一日。
外に出たとき、虹が見えた。(写真撮れなかったけど・・・)
大人になった今でも虹を見ると、うれしい気分になる。
子供の頃、虹はきれいな色の橋でそこまで行ったら、虹の橋の上に登れるのだと思ってた。
あんなにきれいな色の虹の橋を登って一番高いところから下を見下ろしたらどんな感じなのだろう?
虹の橋を歩くとどんなに気持ちがいいだろう、と・・・・・・・。
けれど、どんなに虹の近くに行こうと思っても、無理だった。
今は大人になり、虹は太陽の光が空気中の水滴によって屈折、反射されて見える現象なのだと言うことを知ってしまった。
正しい知識を持つことはいいことなのかもしれない。
けれど、正しい知識を持つことで、夢がなくなるってこともあるのだと思う。
子供の頃は白い雲の上に雨や雪を降らせる神様や、ドンドコ太鼓を叩く雷様がいてお天気を作っているのだと思ってた。
人間もあの白い雲の上に乗れるのだと思ってた。
「どうすれば、あの白い雲の上まで行けるかな?
長いはしごを使えばいいかな?
それとも飛行機で連れて行ってもらって、雲の上に降ろしてもらえばいいかな?
雲ってどんな感触なんだろう。ふわふわして気持ちいいんだろうなー。綿菓子みたいな感じなのかなぁー。」
なんて、いろいろと考えたものだ。
そう思えることって夢があってすばらしい、と大人になった今思ったり・・・・・・・。
こんな大人になってから
「いつかあの虹の橋に登りたいなー。」とか
「あの白い雲の上にいつか私も乗りたいなー。」って言ったりしたら
「あの人、頭おかしいんじゃないの?」って思われるけど、子供がそういうのはとってもかわいい。
もし、自分の近くにいる子供たちが虹や雲やその他いろんなことに夢のある幻想を持っているとしたら、本当の知識はすぐに教えないであげてほしいと思う。
子供が「虹の橋にいつか登りたいなー。」って言ってるのに
「虹というのはね。空気中の水滴に太陽の光が・・・・・・・云々。」言ってしまったら、そこでその子供の想像力はひとつ狭くなってしまう気がするから・・・・・・・。
本当のことを知らないままで、美しく夢のある想像を膨らませるのって楽しいし、幸せですよね。
風邪がひどくなって、昨日今日と寝込んでおりました。
寝込んでいたにもかかわらず、昨日も日記を書いてしまいましたが・・・・。 ![]()
(「毎日何度も読みに来てるので」と楽しみにしてくださってる方もいらっしゃるようで、なかなか更新できてなくてすみません。)
体調が悪くなると精神状態もボロボロになるのか、精神状態がボロボロになったから体調を崩すのか、どっちなのかわかりませんが・・・・・。
「卵が先か鶏が先か」って感じでしょうか?^^;
でも「病は気から」ですね。
気をしっかり持たないといけません。
ずっと続けているヨガでは「心と身体のバランスを保つのがヨガ」と言われています。
去年からヨガの先生に「あなた、一度一人で私のところへいらっしゃい。」と言っていただいてて、ずっと行けてなかったのですが、先日やっと一人で先生を訪ねました。
ヨガのポーズは毎日続けているせいか、いろいろできるようになったのだけど、あとは精神のバランスを保つことを覚えなければいけませんね。
私はそんなに強くないな、と自分で思います。
でも、強がったりいろいろやってみて、本当は自然体でいることが一番の強さなのではないかと思うようになりました。
けれど、誰の前でも自然体でいることは簡単なことではないな、とも感じたりします。
自然体でいて弱さを見せたりすると、バカにしたりそこを攻撃するような人も中にはいます。
虚勢を張ることなく、柳のようにしなやかに自然体で、けれど強く、可憐に見えてアスファルトも突き破って咲く野の花のような強さにあこがれます。
「どんな嫌なことや辛いことがあってもこれが自分の人生なのだと思いなさい。これが自分の選んだ人生なのだ。と受けとめなさい。」とヨガの先生は言われました。
それを聞いたとき涙が出そうでした。
「そして、人を許しなさい。どんな辛い思いをさせられた人のことも許すことが自分の幸せです。」と・・・・・。
何を辛いと思うか、何をうれしいと思うかも、人それぞれです。
Aという人がある出来事を辛いと思っても、Bという人にとってはなんとも思わないことだったり・・・・・・。
そう思うと人の心って難しいなー、と思います。
ときどき
「なぜ、私はこんなことが許せないのだろう、なんて私は心が狭いんだろう。」って思ったりもします。
そんな自分が嫌になったり・・・・・・。
でも、「まず自分を愛しなさい。自分を大好きになりなさい。」ともヨガの先生は言われます。
言われなくても、そのくらいのことはわかっていなくてはいけないことなのかも・・・・・。
さて・・・・・・・
仕事も忙しいですし
心も体もしっかり保ってがんばらないといけませんね。
でも、人間だれしも、凹んだりすることありますよね。(自己弁護?^^;)
こうやって、自分の今のもやもやを言葉にして書いてみると少し気持ちも整理できたりするものです。
この日記も自然体の私を書いていこうと思います。
