こころシリーズの最近のブログ記事

hiiragi.jpg
人にはそれぞれ「心の癖(くせ)」がある。
それは良い癖なのか悪い癖なのかわからない。

心の癖って長所と短所の組み合わせみたいなものなのかな?
それもまた、接する人によって、長所が短所となったり、短所が長所となったりする。
心の癖も接する人によって、良い癖と思われたり、悪い癖と思われたり・・・・・。

なので、自分の「心の癖(くせ)」って直した方がいいのかな、それともこのままでいいのかな?と考えてしまうこともしばしば。

「自分らしい」か「自分らしくない」か。

人が「えーーー?」と思う選択肢でも、それが「自分らしい」なら、それでいいのかもしれない。

人に思いっきり迷惑をかけてしまう癖はもちろん直さないといけないけど、そうでなければ直さなくてもいいのかな。

どっちなのでしょ。

雲は形を変えながら空を流れて行く。
時間も流れ、人もまた時間と共に流れて行く。
同じ時間同じ場所に留まる事はできないから・・・
人とのつながりもまた形を変えて流れていく。
それでいいのかもしれない。

「心の癖(くせ)」は、ときにそれが自分の重荷となり、ときにそれが自分を助けたりもする。
でも、つきあっていかなきゃいけないんだな。
自分と向き合って・・・・・・・。

※上の絵はずっと前に私が描いたひいらぎの絵。記事とは全く関係ありませぬ。(えーーー?

「ハリネズミのジレンマ」
ずーーっと前、ある友人に教えてもらったお話。

----------------------ここから転載-------------------

むかしむかしあるところに、二匹のハリネズミがいました。
ある晩のこと。
あまりに寒い夜だったので、この二匹のハリネズミは、
近づき、体を寄せ合って、互いの体を温めようとしました。
しかし近づこうとすればするほど、温めあおうとすればするほど、
互いに体の針が相手の体に刺さってしまい、傷つけあってしまいます。
だからといって、離れれば離れたで、夜の寒さに打ち勝てそうもありません。
二匹のハリネズミは互いにくっつき、痛みを感じ、そして離れ、寒さを感じながら
互いに痛みを我慢でき、互いのぬくもりを感じあえる距離を探っていきました。
そして一晩中くっついたり離れたりを繰り返した結果、
そこまで痛くも無く、相手のぬくもりを感じられるような距離を見つけて
夜の寒さをしのいだそうな。
この二匹は、その後も幸せに暮らしましたとさ。
このお話、ドイツの哲学者、ショーペンハウエルという方の寓話だそうです。

--------------------ここまでインターネット他サイトから転載-----------------

人間関係もそうなんだろうな、といつも思う。
恋人だって、夫婦だって、親子だって兄弟だって、友達だって・・・・・・。
相手を大切に思えば思うほど、近づけば近づくほど傷つけ合ってしまうこともあるのだと・・・・・・。

ちょっとこの前家族でいろいろ話し合ったりぶつかりあったりがありました。
本音で接することができるから、傷つけあってしまう。
でも、本音を隠して当たり障りのない会話を続けていても何も解決もしないし、前にも進まない。

これは家族に限らず、親しくなって距離が近くなると必ず遭遇してしまうこと。
傷つけて、距離を離して、傷ついて、距離を離して、そしてお互いが居心地のいい距離感を見出していくのかもしれません。
でも、ときには針で刺しあうくらい本音でぶつかり合えるのが「親しい」ということなのかも。

「夢と現実は違うんだよ。現実を見なさい。」
と簡単に言って、若者の夢を壊す大人がいます。

もちろんそれは、ずっと生きてきて体感している本物の言葉。
なので、それは仕方ないことなのだと思います。

そう言われて、簡単にあきらめる若者も大勢います。
「あなたの夢はその程度のものだったの?」

たぶん、それであきらめた夢はそれほど強い思いのある夢ではなかったのかもしれません。
それとも、人生の先輩である大人の言葉を素直に聞き入れたいい子たちなのかもしれません。

もちろん、現実を見ず、大人になることを否定して、「夢」ばかり追いかける「ピーターパン症候群」はダメだと思います。
現実に足をつけて生活しながら、「夢」もあきらめない。
それが大切なのかもしれません。

「夢」はなんのためにあるのでしょう?
あきらめるため?
追いかけても、手に取ることができない幻想が「夢」?

「夢」を「夢」に終わらせなければいい。
「夢」をいつか「現実」にすればいい。
「夢」はいつか「現実」にするためにあるのでしょ?
「不可能」は「可能」にするためにあるのでしょ?
(あーーー。現実的な大人たちから否定されそうーー。(^ ^;)ゞ)

でも、「夢」を「現実」に変えるには強い信念が必要なのかもしれません。

失敗し続けて、20年かけて弁護士になった女性の本が出ていました。
その女性は、プライベートでも、いろいろ苦労をしながら、仕事でも失敗をし続けながら、でも「夢」を捨てることをしなかった。
そして20年かけて手に入れた。
もう定年近いお年頃になってから・・・・・・・・・・。
お金で買ったのではなく、努力で手に入れた。

私の大学時代の友達に「画家」になる夢を持ち続けて、下積みを長い間続けてから、今では絵だけで生活できている人がいます。
彼女の下積み時代は、朝4時か5時に起きて、スケッチに出かけ、9時から夕方5時頃まで生活費を稼ぐためにバイトをし、また帰って絵を描く、という生活を何年も続けていました。
恋人ができても「デートする時間より絵を描く時間が欲しいから。」と長く続かず、普通の女の幸せを追わず、とにかく「絵を描く」ということに時間もエネルギーも使っていました。
「すごいなー。」って彼女の信念に感動してました。
彼女が個展を開くと、絵が完売します。苦労したからこそ、描ける絵なのです。それは人の心を動かすのです。

強い信念を持って進めば、どんな苦労も乗り越える心構えがあったら、いつか手に入る。
そう若者たちには言いたいです。

「大人がそんなこと、無責任に若者に言っていいのか?」そう言われるかもしれません。

でも、「信じれば叶う。念ずれば叶う。」「岩も突き破るほどの強い信念と努力があれば、いつか叶う。」そう伝えたいです。

私は中学校の頃
「将来、美術関係の仕事につきたい。」と書いたことがあります。
高校の卒業文集では
「早く結婚して子供を産みたい。」
そう書きました。
たいして大きな夢じゃないかもしれないけど、今はどちらも叶っています。
私もまだ「こうなりたいな。」という「夢」を持って生きたい。
「夢」じゃなくて「目標」なのかもしれないけど・・・・・・・。

でも、美大を卒業しても、卒業して美術関係の仕事に就けている人は少なかったりします。
私はいろいろラッキーだったのか、デザインを大学で学んで、今デザインの仕事ができていて幸せだと思います。
けれど、そうなりたい、と思って回り道もして、苦労もあったりして、なんとかここまできた気もします。
まだまだこれからの人生、夢を持って生きたい。

子供だから、とか大人だからとかではなく、「いつかこうなりたいな」という「夢」は人生の暗路を照らしてくれる「光」のようなものなのだと・・・・・・・。
大切なのは「叶う」か「叶わない」かではなく、いつか叶えたいと強く願って生きている、そのこと。
その時間が大切なのではないかと思います。

今日はちょっと哲学的。
息子が卒業式の「送辞」を考えていて、その文章に「夢」について書かれてあったので、私も改めて考えてみました。
「もう止まりたい」と思ってた頃、生きるのが辛かった。
「止まらずに、前に進もう。」と思えたとき、生きるのが楽になった。

これは、ここ数年で私が仕事で感じていたことです。

今夜は、あるお客様のホームページリニューアル作業をしており、チェックを済ませ、完了。
アクセスが多い時間にリニューアル作業をしてしまうと、クライアント様のお客様を逃してしまうので、アクセスが少ない時間帯に作業します。

けれど、そのクライアント様にも
「いろいろ勉強しなくてはいけなくて大変ね。でも偉いわね。」と言っていただいた。
「はい、がんばるしかないんです。」と答えた私。

先日の日記でも少し書きましたが

ここ数年ほど、仕事ではスランプだったのかもしれません。

フリーでデザインの仕事を始めて、印刷物の仕事もWEBの仕事も両方いただけるようになっていたけれど、地元には印刷関係のいいデザイナーさんたちがもう大勢いらっしゃるし、WEBの方ならまだその頃そんなにいなかったので、どちらかというとWEBデザインの方向に進んできました。(印刷物のお仕事もしますよー。)
地元の同業者さんとはいがみあって仕事を取り合うのではなく、仕事をシェアできるようになりたかったから。

けれど、WEB業界は技術の進化が早くて、それについていくのに苦しんで、仕事が忙しく今の仕事をこなしながらも、新しい技術を勉強し、習得しないといけない、どんどん時間がなくなって、何かに逃げてしまいたくなるときもあったり。

「私は進む方向を間違えたんではないだろうか。」などと考えてしまうこともあったり・・・・。

「時代が進んでも、私は頑固に今に留まったらダメだろうか。」なんて考えてしまったこともありました。
そうやって、前に進む事を自分のこころが拒否していたとき、すごく苦しかったのです。

でも、やっぱりどんどん前に進む事に決めたら、スっと楽になれた。
今までなかなか頭に入ってこなかった新しい技術の勉強も、まるで楽しくゲームしてるかのように思えてまた集中もできるようになってきた。

気持ちの持ちようでこんなに変わったのかな。

でも、そうやって悩み苦しむことは私にとっては必要だったのだと思ってます。
悩んでこそ、開かれる道もあるのだと・・・・・。

うちの日めくりカレンダーにある言葉。
「道はある日、パッと開ける。」
そう、悩んでも、ある日パッと開ける日が来るのです。きっと・・・・・。

今日完了したお仕事も、私がお仕事させていただいたことで、お客様の業績がぐっとアップすることを祈って(そうなるよういろいろ考えてデザインしましたが)寝ましょう。
以前の日記
私の宝物」にも書いた詩。
星野富弘さんの『鈴の鳴る道』より

----------------ここから抜粋---------------

日日草(にちにちそう)

 
今日も一つ

悲しいことがあった

今日もまた一つ

うれしいことがあった

 

笑ったり 泣いたり

望んだり あきらめたり

にくんだり 愛したり

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

そして これらの一つ一つを

柔らかく包み込んでくれた

数え切れないほど沢山の

平凡なことがあった

----------------ここまで抜粋---------------

楽しいこともあったり、悲しいこともあったり・・・・・。
人生はジェットコースターのようだけど、こころをなんとか平常に保って、地に足をつけてがんばらないとと思います。
今月はホントに楽しいこともいっぱいしたので、お仕事がんばらないとです。
貧乏暇なし~~~。(^^;;) 

この星野富弘さんの詩集は、私の人生の中のいろんな場面で私を救ってくれてる気がします。プレゼントしてくれた母に感謝。

最近ブログ更新がんばってます。
(またそのうち日記が月記になるかもしれず・・・・・(^^;) )

「言葉」「言の葉」「言霊」
人の想いは言葉に宿り、届いた人の心を響かせます。

「言葉」って大事だなー。
と、つくづく思う日常生活。
仕事でもそうだし、日常生活でもそうだし、ネット上でもそうですし・・・・・・。

「言葉」はときには人のこころを癒し、良薬の効果があるときもあり、
逆に「言葉」が刃となって相手のこころに突き刺さり、深い傷を残してしまうときもある。

先日、息子の高校の先生との二者面談のとき
一時間くらい先生といろいろ話していたのですけど・・・・・・
成績のことは置いておいて・・・・・(^^;) (あ、でも勉強しないけど成績はいいみたいです)

先生にすごくほめていただいたのは
「こうへいくんは、生徒同士の会話の中でも、絶対に感情的に「言葉」を相手に投げつけたりすることがないです。じっくり考えて相手の気持ちも考えて、その上で適切に言うべきことを言葉にしています。とても優しい子です。僕たち大人とも、ちゃんと対等に会話ができる子です。」
ということでした。
(ちょっと親ばかなこと書いてすみません。←「いつもぢゃないか」という突っ込みはなしでお願いします。(^^;) )

うれしいことですよね。
「言葉」の大切さ。「こころ」の大切さをちゃんとわかってくれてるかな、と思うと・・・・・・・。

親の私の方が、ときに家庭内でイライラしたりすると、感情的に「言葉」を投げつけてしまうことがあって、そんなときは
「お母さん、子供みたいなこと言うなよ。」とか
「お母さんは、なんでもっと大人になれんのだ?」と息子から叱られます。(どっちが親だか・・・・・)
あとイーーーーーッとなって、ものすごい剣幕でしゃべってしまったときは
「お母さんはそういうキャラじゃないだろ。イライラせんと、もっとゆったりしといたらえぇ。」
とも言われます。
イライラしないで、いつもぼーーーっとゆったりしといてほしいみたいで・・・・・。

でも、こうやって、叱ってくれる人がいるというのはありがたいことですね。
親と子供の立場がうちの場合、逆ですけど・・・・・・。

あ、「言葉」のおはなしでした。

「言葉」の選び方によっても、相手への伝わり方が違いますし
「言葉」を発するときの、声の高さ、大きさ、トーン、そして表情、身振り手振り(ジャスチャー)それらでも相手への伝わり方が違います。

無表情で声の抑揚もなくジャスチャーもなく、とてもいい「言葉」を発しても、たぶん相手には伝わらないでしょう。
逆に、あまりにもオーバーリアクションで大きな声で表情たっぷりに「言葉」を発しても、もしかしたら、その声やリアクションにびっくりして「言葉」そのものは伝わらないかもしれません。(時と場合と相手によりますが)

あと、
ネットなどのように「言葉」の文字だけで伝える場合
電話などで「言葉」を声だけで伝える場合
実際会って、自分自身を見せながら「言葉」を伝える場合
この3パターンでも「言葉」の伝わり方が違います。

普段全然意識してないことなんだけど、「言葉」を相手にちゃんと伝えるってとても大切なことですし、
本当はもっと意識して「言葉」を大切に使わないといけないんじゃないかな、と思ったりします。

ということで・・・・・
うちにある「日めくりカレンダー」の中の文章を
--------------------------ここから抜粋-------------------------

「心の持ち方って大事よ。
だけど、もっと大事なのはね、
言葉の使い方なの。
どんなことを口に出すかで
あなたの目の前の状況が変わってくるし、
あなたの心も変わってくるの。
本当よ。」
(イスラエルのおばあさんの文章らしいですが。。。。(イスラエルのおばあさんって誰でしょ?(^^;) )

人間は言葉によって考え、言葉のよって行動します。
口から発せられる言葉は間違いなく自分自身の人生を創っていきます。
--------------------------ここまで-------------------------
だ、そうです。

8_9_16_1.jpg

 

 

 

近ごろ、よくぼーーーと空を見ます。

秋らしくなってきた空。

空を見上げて空の色や雲の造形の美しさに感動します。

 

神様はなんてすばらしいアーティストなんだろう、と思います。


8_9_16_2.jpg

 海もときどき眺めに行きます。

それぞれの季節で色や輝きが違う海。

そして、ザバーーンザバーンと波が打ち寄せ、どこから運ばれてきたのか、きれいな石ころたち。

きっと角がいっぱいあっただろうはずの石が流れ着くまでにきれいに削られて角がないなめらかな曲線の石になっています。

 「自然ってすごいなー。」

「波はなぜ、あんなにずっとザバーンザバーンと打ち寄せ続けるのだろう。だれかがまるで地球をゆりかごのように揺すっているかのごとく。」

などと考えてしまう。

波の原理は引力云々の話なのでしょうが、ただ単純に波が打ち寄せる音を聞きながら海を見ていたら不思議でたまらない。

けれど、自然の中に身をおき、感動するとともに、人間の力では及ばない「偉大な力」を意識してしまう。

それはすべての創造主である「神」なのかもしれない。

自然の中に身をおくと「自分も自然の一部なのだ」と謙虚な気持ちになれるような気がします。

 

人間は、自分たちの生活の快適さを求めるあまり、さまざまな技術や開発を進め、自然をどんどん破壊してきたしまった気がします。

破壊された自然は、さまざまなテクノロジーで復元されるでしょうか。

私は、人間の「こころ」なのではないかと思います。

人間の「こころ」や「手のぬくもり」

自らのこころで自らの手で自然に触れていく人たちが増えれば、きっとすこじずつでも回復していくような気もします。

 

普通の日常生活でも快適さや快楽を求めるあまり、「こころ」を忘れ、技術に走りすぎてきたのかもしれません。

さまざまな技術の進歩はもうある意味飽和状態になっているのはないかと・・・・・・。

これからは技術に走りすぎず、「こころ」を取り戻すべき時代なのではないかな、と・・・・・・・・・・・。

自然の中に身をおきながら考えたりしてしまいます。

あの夏の日

| コメント(0)

一年以上お休みしてた『絵本読み聞かせ会』の読み聞かせに久しぶりに参加することになった。

子供たちの母校であるすぐ近くの小学校での読み聞かせ会。

私が読むのは『あの夏の日』という原爆をテーマにした絵本。

子供のころから大好きだった絵本作家「葉 祥明」さんの絵本。

 

anonatsunohi.jpg時間があるときに少しずつ読む練習をしている。

私自身、戦争は実際には知らないが、祖父母に戦争の話を聞いたり、本を読んだり、原爆を体験した人たちのドキュメンタリーの番組をテレビで見たり・・・・・・・・

そのたびに、表現しがたいくらいの気持ちになる。

「ひどい」だとか「かわいそう」だとか・・・・・「悲惨だ」とか・・・そういうような、けれど、もっと言葉では言い表せない感情になって胸の中がモヤモヤドロドロ(これも表現しにくいですが)した感じになってしまう。

今の子供たちはどう受け止めるだろうか。

この絵本の中にこんな箇所がある。

-------------ここから抜粋---------------------------

戦争は、相手への憎しみや争いのこころから起こり

原子爆弾は、恐れと疑いのこころから、生まれました。

しかし、人は同時に、愛するこころ、信じるこころ、

相手を理解し、受け入れるこころを持っています。

そのこころこそ、世界に平和をもたらし、

原子爆弾を不要なものとするはずです。

-------------ここまで抜粋---------------------------

悲しいお話や感動物のお話の絵本は、抑揚たっぷりに演技しながら読むのではなく、どちらかというと淡々と読むことにしている。

今まで何度かそういうお話を読んで、抑揚たっぷりに読んだり、自分の感情を入れすぎて読むよりも淡々と読んだほうが聞いている人たちの心にすーーっと入りやすいということがわかった気がします。(ただ勝手に自分でそう思っただけですが・・・^^;)

でも、それも読む人それぞれの個性だし、聞く人たちの好みもあると思いますが・・・・・・・・。

悲しいお話などは読んでる自分がつい悲しくなって涙ぐんでしまったりしそうになるけれど・・・、自分の感情は抑えて淡々と・・・・・。

子供たちが何を感じ取ってくれるのか、楽しみです。

「戦争は怖い、戦争はダメだ」そういうことも感じながら

「戦争は人のこころから起こり、だからまずこころを大切にしなければいけない」と感じ取ってくれる子供はどのくらいいるでしょう。

 

最近ちょっと自分を見つけた気がする。
この年になって、「ちょっとだけ自分を見つけた」なんて甘いことを言ってたらダメなような気がするけど・・・・・・・。

自分を見失ったり、また自分を捕まえたり、そんなことを繰り返しながら生きてる。
私だけなのかな。

自分がいて、人と接して
自分はその人と接していい色が出ているのだろうか、それとも変な色を出してるのだろうか。
そして、私は接する人のいい色を出させてあげているのだろうか。変な色を出させてしまっているのだろうか。

自分が変な色を出してしまっている、または、人の変な色を出させてしまっていると気づいたときは自分にこもってしまいそうになる。

でも、こもってても仕方ないんだろうな、と思ったり・・・・・・。

いろんな人と接して、いろんなことがあって、つまずいたり転んだりしながらでも少しずつ自分を見つけることができるのかもしれない。

また、これからも自分を見失ったり捕まえたりの繰り返しなのかもしれないけど、私も自分に正直に、そして、私と接する人にも正直に振舞えるようにしていただきたいな、と思う。

小説でもドラマでも映画でも、人間心理を細やかに描いたものが好き。
人間の繊細な『心の襞(ひだ)』のようなものを・・・・・。

うれしい、楽しい、悲しい、淋しい、腹立たしい、
その他はっきりと言葉などで言い表せる心の狭間にあるような微妙な人間の心理。
そういうものが『心の襞(ひだ)』というのでしょう。

『心の襞』は誰にもあるのかもしれないけれど、その細やかさなどは人それぞれ。
『心の襞』のようなものを感じられない人もときにはいらしたり・・・。

私はそういう『心の襞(ひだ)』を読み取れる人が好き。
また私もそういうものが読み取れる人になりたい。

小説家でも細やかな心理描写が上手な人が好き。

読みながら
「あーーー、こういう微妙な気持ちわかるなー。」などと思って読んだり・・・・・。

日常生活でも、いわゆる『竹を割ったような性格』の人はちょっと苦手かも・・・・・。
『竹を割ったような性格』でも人の『心の襞(ひだ)』が読み取れる人ならいいのだけど・・・。

『心の襞(ひだ)』を持っている人。人の心の襞を読み取れる人。
そう考えるとそういう人はそんなにいないのかもしれないなー。

以前ある人と『心の襞(ひだ)』について話してみたら
「自分にはそれはわからない。」と言っていた。
そういえば、その人はその人自身もそんなに細やかな心の襞はなく、また人の心の襞も読み取れない、と、いうか・・・・「『心の襞(ひだ)』って何?」と人間の心にそういうものがあることすら理解しようとしていなかった。

でも、それは人それぞれで悪いことではないと思う。
別に『心の襞(ひだ)』が細やかになくても、人のそれを読み取れなくても別に人に迷惑をかけているわけでもないのだから・・・・・・。

この前子供たちとこういう話をしていたら、息子が
「人の表情を見てたら、だいたいそういう細かい気持ちはわかるで。ねえちゃんはわからんだろう。」と言っていたが
娘はどちらかというと『竹を割ったようなはっきりとした性格』のように思われているけれど、実は結構細やかな『心の襞』を持っている。あえてそれを出そうとしないだけ。
人の『心の襞』も読んでいる。でも、それもあえて読めていることを出そうとしない。
だって・・・・『WKY=わざと空気読まない人』だから・・・。(笑)

そう考えると、ちょっと接しただけでは『心の襞』も見えないし、人のそれを読めていないような人でもじっくりつきあうとそうではないのかもしれないな。

小学生の頃は音楽の方に進みたいと言っていた娘。
本も好きなので最近は国文科に進みたいと言っていたが、また近ごろ親子でこういう話をよくするせいか心理学科か哲学科でもいい、と言い出した。
^^;

何が合っているのでしょうか。
って・・・・・結局子供ネタで終わってしまった。。。。。
(^_^;)

 

最近のブログ記事

心の隙間(こころシリーズ←いつからそんなシリーズも?^^;)
人間は誰しも、心の中にぽっかりと開いた穴…
「強さ」ってなんだろう?
風邪がひどくなって、昨日今日と寝込んで…
こころ
とても辛くて悲しいことがあったとき 「こ…